フラウ 2000年09月号 №227 倉本四郎 夢見る写真館 「愉しいいのち」

緑の木陰で、女たちが三人、横一列に並んで臼をついている。長い棒状の杵をふるって、脱穀仕事にはげんでいる。ついているのは、なにかの雑穀だろうか。かたわらに籠がある。臼の中身は、きっとこれだが、写真からは見分けがつかない。

アフリカ西海岸、セネガルの小さな村の一景らしい。とすると、米ということもありうる。このあたりの主食はトウモロコシやヒエだったが、いまでは米が主体になったと、なにかの本で読んだことがある。チェプジェンといって、魚と野菜を煮込んだのをかけて食べる。

にわかに、うれしくなる。チェプジェンなんて、いってみれば汁かけ飯だ。口の悪い人間なら、ネコ飲だというかもしれない。私だって、のぞんで食べたいとは思わないが、それでも心がおどる。

野遊びのさなか、鼻先を飯の匂いがかすめる。ふいに空腹をおぼえて、家に飛んで帰る。そんな子どもになった気分だ。

女たちの姿がいいのである。からだが歌っている。黒いからだがヒマワリみたいに金色にはずみ、笑っているのである。いちばん左の女性は、カメラにそっぽをむいている。むっつり杵をふるっているようにみえるが、この無愛想な女性にしたところが、腰や膝はリズムをとっているように感じられる。(写真①)

つまりは、音楽がきこえてくるのである。とてもアレグロで、リリックでプリミティブ。生きるということは、じつは、こんなにも単純であり、いのちとは、こんなにも愉快なものなのだとおしえるような。それをきけば、からだじゅうの細胞が、いっせいにさえずり出さずにはいないような。

ながめていると、アフリカン・リズムの生まれる現場に立ち会っているような気がしてくる。たまにアフリカの音楽をきく機会があると、その独特のリズムに、私のからだは、たちまち感染してむずむずするが、それは、この臼つく女たちの腹から、赤ん坊みたいにゆすり出されたのだ、と思われてくる。

写真家もそう感じたにちがいない。このシーンに「日常仕事から生まれたアフリカン・リズム」とコメントを添えている。

こんなことも、書きつけている。リズムをリードするのは、くりぬき胴に牛の一枚皮を張った太鼓・ジャンベである。それをつくったのは、いまから一五〇〇年前、おなじ西海岸のギニアの鍛冶屋であったと。

もとより、鍛冶屋とて誕生にかかわっているのだ。臼を杵でつくように、鍛冶屋はハンマーで鉄床を叩く。この象徴的な性交の結果、その鉄床からは、それだけではただの鉄のかたまりにすぎないものが、刀や鎌、鋤や鍬の形をまとって起ちあがってくるのである。

誕生したばかりの、いわば出鼻のいのちは、きっと、晴れた日の麦畑で遊ぶヒバリみたいにさえずっている。なにせ暗く狭いトンネルを、やっとのことで抜けて、光を浴びたのだから。生まれおちたことを呪ったり悔やんだりするのは、そのあとだ。

写真家は、臼をつく女たちのからだから、そんな出鼻のいのちが歌う歌をききとったのだと私は思う。そうでなければ、ふだんの仕事をする女たちのからだから、こんなにも音楽があふれ出るわけがない。

写真は対象だけでなく、撮影者じしんも写す。ひねくれた男の写真は、たとえ屈託のない人物を撮っても、ひねくれるものだ。その視点からみれば、この写真に写っている写真家は、ほとんど、女たちの股間から顔をのぞかせ、世界に対して、最初の元気なあいさつを送っている子どもである。

写真という目の仕事をしてはいるが、写真家は本来、耳の感受性に恵まれているひとなのかもしれない。だからこそ、臼をつく女たちのからだに、歌を読みとることができたのかもしれない。

現実にも、アフリカ音楽に傾倒している。写真の仕事の合間をぬって、仲間と組んだバンドで、ジャンベを叩いているという。耳の鍛練はつんでいるのである。

なかんずく、その源流をさぐる目的で西海岸へ飛び、セネガルの村をはじめ、各地を渡り歩くバンドと行動を共にした。私たちが目にしている写真は、その過程で撮られたものだ。

しかし、バンドに同行すれば、かならず歌がきこえるというわけではない。音楽シーンを撮っていても、音楽がきこえてこない写真は、いくらでもあるのだ。

私は逆に、こんな想像をした。これは、とくべつに耳のいい者が撮った写真ではない。むしろ、アフリカを旅行するうち、写真家は鈍くなったじぶんの耳の感受性がめざめるような、たまった耳垢を抜かれるような思いを味わったのではないかと。

私たちの耳の状況ときたら、なにしろサンタンたるものである。街には電子音があふれている。駅でキップを買えば、ありがとうございましたと自動販売機がいい、改札をくぐると、改札機がピポピポ歌う。同様おせっかいに無表情な声が、海水浴場にだってひびくのである。

音の暴力、野蛮きわまる専制である。おかげでひとの肉声、生き物の声は街角から消されてしまった。もはや路地で、三味線の音をきくことすらない。

この専制を、私たちは許している。許してしまうほど、耳がだめになっているのだ。あるいは、ききながしてしまえる耳を持つことが、生き物としての順応力のしるしだと勘違いしているのである。

感受性の鈍化を、私たちは、しばしば順応力と錯覚する。だれもがあたふたする不測の出来事が生じたとき、ひとり冷静に対処しているかにみえる者がいる。しかし、経験でいえば、そんな者にかぎって、出来事について、何も感じていないのだ。

写真家のホームも、電子音で専制されている東京である。アフリカで臼をつく女たちの歌うからだを目にしたとき、写真家は、とっさに、じぶんの耳の惨状を思わなかっただろうか。あんたの耳は腐っているよと、ガツンと一発かまされた。どうも、そういうことがあったのだという気がする。

写真の舞台になっているのは、セネガルやギニア、マリなどアフリカ西海岸六ヶ国である。十九世紀にフランスに分割されるまで、この地域には、いくつもの帝国が浮き沈み、栄え、消えた。その中心をになっていたのは、マンディンカ族だった。

私がおもしろく思うのは、かれらが文字をもたず、その歴史は、口承にたよるより知る手がかりがないということである。文字による記録を目の文化とよべば、口づたえの記録は耳の文化の産物だということになろう。マンディンカ族は、視覚に聴覚が優先する、いってみれば耳の種族だった。

臼つく女たちも、マンディンカの血をひいている。耳の種族として現在を生きている。私の感じでは、だからこそ、かの女たちのからだは、三人三様に歌っている。

裸足である。土にまみれ、汚れてはいる。しかし、その足裏は、とてもやわらかくて敏感である。目で確かめなくとも、そこに虫の存在を感受してしまう。ひそんでいる危険のありかを察する。耳の種族とは、足裏で大地の声を聴きとってしまう存在なのだ。

おなじように裸足でくらすピグミー族の足の裏は、じつにやわらかいという報告がある。筋金入りのこの耳の種族の女たちであればこそ、写真家の頑固にこびりついた耳垢を、一気に抜いてしまうことができた。

海辺で、ジャンベ奏者とかけあいで踊るダンサーがいる。プロのダンサーだというが、しかし、そのからだは、臼をつく女たちと変わりはしない。あの無愛想な女性にしたところが、ジャンベの前では、こんなにも官能的に、愉しいいのちを歌うからだになるにちがいなかった。(写真②)(記事より)

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